東日本大震災 仙台市青葉区

東日本大震災

2011/03/11 14:45頃 地震発生。いつもより強い縦揺れのあと数分に渡る横揺れで始まった。診療中だったため診療台をもとに戻し、部屋の扉・玄関の扉をあける。携帯で安否確認をしながらとなりの錦町公園へ行くと、周りの建物がすべて揺れている。公園の木や電線が波打つように揺れている。いつもとは桁外れの揺れだ。外にいるよりも診療室内にいたほうが安全と判断し、診療室内にもどる。安否確認をするために電話をするが、どこにもつながらない。(メールのほうがよかったかもしれない。)
まずは、水の確保だ。(阪神大震災の時の教訓を思い出し)水は出る。震災直後は、普通に水が出ていたため油断して水を貯めていなかった。食料は2・3日分の食料はいつも確保してある。携帯の充電器を探す。 その後、錦町公園は避難民で一杯となる。帽子ヘルメットが必要だ。(ビルの瓦礫や看板などが落ちてくる。)16:00ごろ従業員を帰宅させこまめに連絡をとるように指示する。妻よりメールがあり近くの公園にいるとのこと。17:00頃歯科医院に到着し、17:30頃自宅へ向かった。東二番丁通りは、帰宅の人でいっぱいだ。渋滞も発生している。18:00頃に自宅に到着する。玄関が開かない。玄関脇の窓がなぜか開いている。鉄格子を壊し窓から部屋に入る。部屋の中のドアも開かない。ドアを蹴破り部屋に入る。部屋の内側から開けてみるがびくともしない。よくみると玄関の鉄製のドアが曲がっている。開くわけがない。諦めて窓からではいりすることとした。部屋の中は、当然無茶苦茶だ。コップが割れ本が散乱し、足の踏み場もない。落ち着くとこれではこの部屋に住めないことがわかる。とりあえず大切なモノを取り出し診療所へ帰るしかないと判断する。

①寝袋

②食料

③衣類

④貴重品

⑤携帯の充電器(乾電池)

⑥ラジオ

☆後ほどわかることだが、この時に給油をしておかないと給油が出来なくなる。ガソリンスタンドに果てしない行列ができることとなる。

診療室へ戻り22:00頃寝る。

24:00ごろ埼玉の友人から携帯に連絡が入る。

25:00ごろメールがはいりだす。

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